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2018-07-28

 5月の日記で新刊について考えてる~って言ってて、ずっと考えてるんですけどわからないんですよね。
 幻肢痛というものがあって、人は失くしたものでも持っていた物なら簡単に痛みを想像できるんですよおそらく。誰かがホッチキスで自分の指を留めちゃった(実体験)っていう話を聞くと痛いだろうなあーって顔をしかめられるんです。
 ミハマコウジとハヤミヒロの間によこたわる痛みの共有は、二人の体験が違いすぎるからできないとはずっと言っていて、勿論仁科カヅキとの間でもそれは同じなんですけど(違う人間なので)痛みだけではなくすべての感情においてそうなんだとしたら、愛されなければ愛せないんですよ。失はなければ奪えなくて、奪われなければ与えられないと……。
 仁科カヅキが速水ヒロのステージを見たその瞬間に、仁科カヅキが愛する速水ヒロは一万光年の彼方に行っちゃうんですよ。キングだから宇宙に行っちゃう。見なければいいのに見ちゃうし、彼方じゃなくて仁科カヅキの傍に留まってくれる速水ヒロってハヤミヒロ足り得ないんですよ。もうファンの為じゃなくてヒロのためにアイドルやってるから。仁科カヅキの隣にいる速水ヒロがいないとしたらカヅヒロって何なんだろう。別れの恐怖も距離による障害もない故に一緒にいる必要がなくて……、恋だと自覚する瞬間がない。支離滅裂だ。

 ジエイとハツリョエの3話描いたんだけどめちゃくちゃな内容になったので描きなおす。あととうらぶの昔のプロット(しょくへしといちつるとんばくりとおてたぬ)が大量に出て来たのでそれをやりたい。
 これは私の我儘なんですけど、細田監督と人間の人生の美しさに関する意見が全く合わないので未来のミライ見に行くかどうか迷ってます(人生の美しさを描くだけが映画ではないのでは?)。

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