2023-02-13
チャゼル監督(ラ・ラ・ランドとかセッションの人)の映画「バビロン」見ました。3時間あるとは知らずに鑑賞し膀胱の山並を乗り越えました。トイレで席を立つ人に寛容になる映画だったと思います。加減を知らないのか?
私は映像美と音楽と関係の終わり具合とpride要素(何度でも飛び込むから、she would do it again)のためにラ・ラ・ランドが大好きなんですが、今回も同様の要素を感じいいね~萌!(率直)と思うと同時に、その要素が激化するにつれて他の側面が出てきており多少ひきました。機会があれば音楽がいいので映画館で、トイレを済ませてみてください。ネタバレ。
「シンギンインザレイン(雨に唄えば)」のパロディに近いのでミュージカルでも映画でもなんでもそっちを見てから見た方が面白いと思います。同作も今作も無声映画から有声映画(トーキー映画というらしい)への切り替わりの時代のお話で、映画監督になりたいメキシコ人のManuel(マニー)と、映画女優になりたいアメリカ人のネリーと、無声映画の人気俳優のアメリカ人と、トランペットがべらぼうに上手いアメリカ人(最初から最後までずっと上手い)の4人の話です。
ラ・ラ・ランドには感じない最悪の手癖としては人間の堕落を娯楽にしすぎていること、女の人格が薄いことです。
私はシンギンインザレインのミュージカル版を見て人間が描くリナへの邪悪な偏見(金髪白人美人は頭が軽い)に打ちのめされ途中でイライラしてきた人間なのですが、チャゼル監督は特に何も感じなかったようです。
リナと同じ立ち位置のネリーには多少の深みを出すためにダメな父親と廃人の母親を出演させ、それでも彼らを愛せずにはいられない描写がありましたが、どうしてシンギンインザレインを踏まえてマニーほどの人間の深みを彼女を通して描き出さないんだろう~。
シンギンインザレインのリナはただの蓮っぱ馬鹿女(は?)として描かれてましたが現実(作中)のネリーは人間としての深みがあったと思わせてくれよ。大量のゲロをはかせるだけじゃなくて。雨に唄えばから何年たってると思ってるわけ?
ラ・ラ・ランドはたまたま女性に夢があっただけで、監督としてときめくのは「彼女と愛しあっていたけど実らない恋→今なお蘇る時代の輝き・美しき思い出・永遠(これってヒロとコウジの話してる?)」なんだろうなあと思いました。私もそれは好きですが、それが一方だけの感情だと疲れますね。いや、あのとき愛のすべてだった彼女は映画で永遠になった。嬉しいね。
トランペッターの人は本当にトランペットが上手いので、映画撮影時にはスポットライトをあてられる輝ける位置にいるんですよね。彼は黒人なのですが照らされていると脇にいる他の黒人演奏者に比べて肌が白くみえるわけです(白黒映画です)。大衆が求めているのはトランペットではなく黒人トランペット(人種のコンテンツ化)なので、これはよくないと思ったマニーに黒色顔料を塗るようになだめすかされ脅され(監督のマニーは一切謝らない。本当に許さないお前を)、彼が顔に顔料を塗って演奏をするところで屈辱と怒りと悲しみでハチャメチャに泣きました。これがこの映画の一番泣けるところです。
どうしてどんな人種に見えようと、トランペッターはただの上手いトランペッターではいられないのか。純粋に演奏能力だけではなく、生まれつきの変えられない属性込みでしか判断されないのか。マニー、オメーもチコチコ(メキシコ人の蔑称)言われてたくせに。マヌエルはどうした! 屈辱~! これあるある描写なんですか? ないないにしてくれ。
音楽はよかったです。というか三時間あって寝なかったので面白いということじゃない?
「生まれ育ちの言語を話す自分」と「世間に好かれるための言語を話す自分」というのがおそらく映画のテーマの一つなんですが、思い返すとマヌエルの愛の言葉の一つ一つに泣けるかも。
マヌエルは最初カチコチのスペイン語訛の英語を話すのに、成功して身なりがよくなるにつれて「マニー」になり日常会話では訛がなくなるんですよね。そして、差別(アメリカ社会が求めるもの)を内面化し人に顔料を塗らせる。ネリーにはスペイン語でしか愛を伝えないし、トランペッターにはスペイン語でしかお礼を言わない。ネリーと別れた最後のシーンではマヌエルはメキシコ人と結婚し、もうスペイン語しか話さなくなる。映画とアメリカンドリーム(ラ・ラ・ランド)から解放されてマヌエルに戻っている。夢と愛をすべて英語に置いてきて自由になれたね。泣ける。
te amo. 君を毎日幸せにしてあげる。
ミスフェイはそれなりにステレオタイプのオリエンタリズムの女性でしたが、彼女はめちゃくちゃいい人だったので私は好きです。ネリーと幸せになってくれればよかったのに。マニーここでもお前を許さないからな。でも差別される側だった人間が、差別する側に認められるようになるために他の弱者を虐げたとてマヌエルだけを責められますか? こんなの構造の問題じゃん。
あと私はあんまり人気俳優に興味がなかったので、拳銃自殺したとき「prideだな……」と思い終わりました。速水ヒロ?(速水ヒロはステージの上で咲く氷のバラ、いずれ照明の熱さで溶ける瞬間も美しい)
吹替版はたぶんないと思うんですがぜひぜひ字幕でみてください。いや、普通に元音声で見る能力があるならそれが一番だろうな……。
じゃあロマンス小説の感想を話しますね。これが見たくて読んでる人もいるらしいです。二回目です。
『瞳をとじれば』エロイザ・ジェームズ
pri度:★★★☆☆
あらすじ:競馬狂いの父親が残した4姉妹の持参金は良き血統の名馬。長女テスは妹たちの良縁ために馬目当ての伯爵と結婚することを決めるが、結婚式当日に彼は失踪した。「友人が逃げたお詫びに僕が君と結婚する」と名乗り出たのは皮肉屋で隙あらばセクハラをしてくる金持ちルーシャス(競馬に興味がない)だった。
妹のために伯爵と結婚すると決めた主人公が一人不安で部屋で泣いてしまうが、結婚式当日毅然とした態度で挑んでいくのはprideでした。主人公とルーシャスの恋愛というよりもっと大変なことが起こりまくってびっくりです。妹は駆け落ち結婚するし、いきなり姉にキレるし夫は落馬するし。競馬にのめり込み人への気遣いを忘れた人間と共同生活をするのはむずかしそう。
ルーシャスの思考回路がまったくわからず後半はよくわかりませんでした。テスが「ルーシャスは母親と仲直りすべき!」と思い緊急面接をもくろむも、実際にあったらびっくりするくらい失礼な母親だったので普通にあきらめるのですが……、ルーシャスに謝ったのか……? ルーシャスは自分の投資の才能によりものすごくお金持ちなのに自分のことを本当にくだらない人間だと親のせいで思っていて、買った邸に自分の家族の肖像を飾れず他人の家族の肖像を飾っているのだが、そういう人間の弱い部分を土足で踏み荒らしたなら、謝ってくれ。でもテスは母親の遺品を父親に競馬のために売りに出されました。
『レディ・スターライト』アマンダ・クイック
pri度:★★★★☆
あらすじ:愛する叔母が過去の罪で脅迫されているのを知ったイフィジナイア・ブライトは、殺された哀れな伯爵の愛人を名乗り社交界に忍び込む。普通に生きていた伯爵マーカスは友人が同じ犯人に脅されたことをきっかけに、彼女と二人で脅迫犯を探し始める。
夜の神殿のシーン、ウィットに富み過ぎ、このためだけに伏線を張り過ぎ。
主人公は経済的に独立した人間なので、マーカスに「責任をとるために結婚しよう」と言われても「私は私のことを愛していない人間とは結婚しない」と毅然と言い返せる。それって、最高じゃん……(今まではあまりにも経済的に不平等だったかも?!?!?!?!)。マーカスがいい人間で好感を持ちました。友人の名誉のために一緒に死体を川に捨てられる、+100prideポイント! 彼は友人の夫に浮気糞男と罵られても最後まで自分から言わなかった。それがどれだけすごいことかわかりますか? そしてマーカスはなんと(!)イフィジニアの意見を取り入れ、考えを変えて弟に謝ることすらできる(このジャンルの小説読むの止めたほうがいいよ)。
友人の名誉のために貴族でも付き合いを断り罵倒できる、+200prideポイント!! イフィジニア、優勝だよ。
こんなに頻繁に書いたら、日記になっちゃうよ。